この企画では、仙台在住の25歳以下の若者世代が日々どんなことを考えて過ごしているかをインタビュー。
「仙台っていまいち楽しいことないな」
「なんかしてみたいけど、どんなことをしたらいいか分からない」
と思っている若者のみなさん、このインタビューを読んだらきっと仙台を舞台に自分を表現したくなるはずです。
【今回のインタビュー:大学生・小川泰佑さん】
「秋田県知事になる」という目標を掲げながら、宮城で医学生として生活する小川泰佑さんにインタビュー。現在大学3年生の小川さんは、学生として医学を学ぶだけではなく、「人の人生に伴走する」という夢を実現するため、医療に携わる学生たちと結成した団体での活動から、東北人が集い東北愛を語るBARイベントまで多岐に渡って活動をしています。
そんなエネルギーに溢れる小川さんは、仙台で学生として、あるいは市民として過ごしながら一体どんなことを考えているのでしょうか。
ーそれでは簡単に小川さんの自己紹介をお願いします
小川泰佑と申します。北海道江別市出身です。
高校を卒業して、一浪して京都の同志社大学に一年通いました。一年通って、「僕のやりたいことがビジネスではなくて、医療を通じて人の人生に伴走できるような生き方をしたいな」というところで、一年間地元に帰りまして、勉強し直して東北内の医学部がある大学にご縁をいただきました。
ー将来はドクターを目指しているんでしょうか
ゆくゆくはドクターを極めた先に、一人一人の患者さんの人生に寄り添いたいと思っています。患者さん一人ひとりに寄り添うことは、その地域の未来に寄り添うことだなと。
僕が知事を目指している秋田県は特に、課題先進地域と呼ばれているほど医療を解決していくだけではその地域全体の問題を解決することができないと言われています。僕はその地区全体の健康問題とか、社会問題に広く深く取り組める立場でいたいと思っていて。ドクターしかなることができない保健所の所長とか、秋田県医師会とか、もしくは県知事っていう3つの選択肢があったんですけど、平均年齢を調べた時に明らかに県知事が一番若くて、できる幅も広いというので、「秋田県知事になろう」と。これからお話する内容は、決して現行の政治を批判している訳ではございませんので、ご理解ください。
ー県知事って30歳くらいから立候補できますもんね
そうですね。
ただ、「知事」っていうワードが先行してメディアに出てしまいがちなので、僕は別に知事に積極的になりたいわけではない、ということを先に言っておきたくて。というのも、僕にとってのライフワークというのは、住民の方が困った時に、損得なしで一番側にいられる存在でありたいな、って。「人の人生に伴走する」という生き方が僕のライフワークです。
人生を変えるキーとなった3つのスイッチ
ー「秋田県知事になりたい」っていうワードが拾われてしまいがちですよね。
「人の夢を応援するのが好きだ」「人の人生に伴走したい」という夢を持っている小川さんですがどういう経緯で、その夢へのスイッチが入ったのでしょう。
スイッチが三段階あって…。いきなり人の夢を応援したい、という風には僕も思わなくて。
一段階目が、母親がとても愛情を込めて育ててくれたので、わりかしなにか困っている人がいたら勝手に体が動いてしまうっていう、利他性の高い子供時代だったんですね。それは今も変わらずではあるんですが、何か困っている人がいたら体が動くのは当たり前っていう性格だったのがひとつめです。
幼少期の小川さん
二段階目としては、京都で所属していたNPO法人生態会での経験です。スタートアップ企業を応援するNPOで(同志社大学時代)働いていました。そこで出会う人たちは人生をかけて起業してくるわけじゃないですか。元々ビジネスを学んでいたというところもあって、(活動が)楽しかったんですが、そこではまだスイッチが入り切れず。そこで、クライアントさん(NPOで活動していた時に出会った方)がご病気になられたり、お金がなくなったりして、今まで自分がやってきた人生の伴走支援ができなくなってしまった、という事実に自分の力の無さを実感して「悔しい!」と痛感しました。そこで自分の中で、この人生の支え方で良いのか、と。
(同志社大学で)所属していた分野の中では自分の実現したいことは叶わない、と思ったことが二段階目のスイッチですね。
京都のNPO法人生態会で活動していた時の写真
ー当時大学で学んでいる分野の中では「その人の人生をすべて助けることはできない」と感じたんですね
はい。そうですね、おっしゃる通りです。
いろんな学生活動をしていく中で、3段階目のスイッチとなったのが、スラム街で生活する子どもたちとの出会いでした。ある時スラム街でサッカーをしていた子どもたちに出会いました。その時は一緒にサッカーしたり、日本の文化を伝えたり、お菓子を渡したりする活動を行っていたんですけど、その支援が終わった後に「自分って、彼ら、彼女らの明日を補償しているわけじゃないな。」と思って。「自分って本当に無力だな」って。自分にできることが何も見えてこない、という無力感が残りの人生を最大限社会に還元しなければならないという使命感に変換されたスイッチになりました。
タイの子供たちとサッカーをして遊ぶ小川さん
人の人生に伴走するために総合診療科へ
当時20歳だったんですけど、100歳まで生きるとして残りの80年間の内で、どうやったらこの小川泰佑という存在を社会に還元できるかなというところで、職業から入るのではなくて「人の人生に伴走する」というところを究極の一点としてみた時に、僕はドクターの中でも「総合診療医」という5年前に設立された専門医制度を目指そう。という結論になりました。
ー「総合診療医」についてもう少し詳しく教えて欲しいです。
日本の中で19個ある専門医制度の中で、一番最近できたのが「総合診療科」です。その名の通り、「総合」なので、限界はありますが他の診療科に比べてなんでも診療できるのが特徴です。現状に合わせて汎用性の高い治療ができるドクターを増やしましょう、という取り組みが日本の中で始まりました。そこで5年前に設立されたのが、「総合診療科」です。
ーなるほど。そういったことを取り扱う専門分野は昔からあると思っていました…。ドラマ「Dr.コトー診療所」に出てくるコトー先生とかは、まさにそういう医師ですよね。
おっしゃる通りで、地方の端っことかに行くと結局何科の先生でも、極論外科のプロフェッショナルでも、結局地方で働けば「総合診療医」的な働き方になるんですよね。
ー小川さんは総合診療科をこれから専攻されるんですね
はい。そして東北一の総合診療医を目指しています。
小川さんが大事にしている白衣を脱いだ活動
ードクターとしてはそこを目指しているということですね
そうです!
医学と社会が溶け込むようなラインを僕はすごく大事にしています。そこで、白衣を脱いだ活動として「BARイベント」やお茶の井ヶ田さんとコラボして「小さな図書館」を作る活動をしています。
BAR Come Back Salmonsのメンバーと
お茶の井ケ田とのコラボレーションで実現した「小さな図書館」
https://machi-library.org/where/detail/7087/
ーその話を聞いて、ドクターを目指しているのに地域コミュニティに関する活動をなぜ小川さんが大切にしているか理解できた気がします
日常生活の積み重ねが、僕は人生だと思っていて、その人の日常生活すら見れない人間が、僕はその人の人生を見られるとは思ってないんですよ。地域にあった医療というのがそれぞれあって、農家の人が多い地域で医者をするってなったら、朝5時から診療所あけておかないと、とか。総合診療医をやるにあたってそういう視点は大事ですね。
ー地域性のある病院ってすごく少ないですよね。仕事に行っている時間に病院が空いていて、仕事が終わったあとに行こうとしても開いていない、ということの方が多いですよね。そうなってくると診療が受けられない人は一定数出てきてしまいます。
それが外来の病院だったらまだいいんですけど、在宅は在宅で別の問題が生まれてくるんですよね…ただ、これは話すと止まらないので、一旦次にいきましょ笑
東北愛でつながるBAR Come Back Salmons
ーここまで色々なお話をお伺いしてきましたが、ここで小川さんがやっている「BARイベント」についても伺ってみたいのですが…
え!3月31日にぜひ、来てください!
僕ら6人でやっているんですけど…スタッフ全員、医療系の学生ですよ!
2023年3月31日に開催した「BAR Come Back Salmons」の様子
会場は終始熱気に溢れ、初めて参加する人でも話がしやすい雰囲気が流れていた(イベントに参加した記者談)
ーラジオ(※1)でどんなBARかをお話していたと思うんですけど、いろんな職種の人がいらっしゃるってお伺いして、私の年代だと会社以外でなかなか他の職種の人とお話する機会もないので…。
いま「BARイベント」という名前は変えて、「BAR Come Back Salmons」という名前にして…
お客さんの流れを「サーモン」に例えたんですよ。
ー(参加したお客さんが)帰ってくる、ということでしょうか?
そうです。
僕らのBARって月一でしかやっていないので、毎回そこで出会った関係性で1ヶ月後また顔を合わせる感じで来てもらったら、お互い一歩成長して帰ってくる、みたいな
BARを開催している「OF HOTEL」さんは宮城県外からの観光客の方が利用することが多いので、そこで東北の方との新しい出会いが生まれ、ホテルのコンセプトである「ローカルセッション」が起こるということです。最高です。
ーこの施設(OF HOTEL)自体も新しい施設ですよね
今回(3/31開催)はプレゼンターもいたり…。
OF HOTELさんのサイトにも僕らのBARについて掲載させていただいて、協働開催という形でやらせていただくことになりました。
OF HOTEL のHPにはイベント情報が掲載されている
https://of-hotel.com/event/cbs-202303
ー今までにこのイベントは何回くらい開催しているんですか
今までは…6回ですね。
ー初めての開催が1年前(2022年3月)ですよね。そう思うと結構な頻度で開催していますよね。毎回どれくらい参加者がいらっしゃるんでしょうか
流れがありますね。少ない時もあれば、多い時もあるし…
僕たち的にいうと少ない時の方が楽しい。より話せるから
ー多いとあっさりしか話せなかったりしますもんね
そうなんですよ。だから、僕らは数にはこだわっていなくて…。
参加している人の顔がどれだけ輝いているか、というところなので、
全然少ない人数でもウェルカムっていう。ゆるく、肩の力を抜いて(参加してほしい)。
これまたすごいのが、僕らのBARってお酒が本当に美味しいんです。
実際に「BAR Come Back Salmons」で提供しているカクテル・グラスホッパー
3月31日のイベントでも注文している人が多く、イベントでも人気のメニューのひとつ
ーそれって誰が(出しているお酒を)プロデュースしているんですか?
元バーテンダーの…プロのバーテンダーの人が医学部を再受験していて…
ーえー!?
彼女が僕らと同期で入学していて…
その人と飲んでいて、「タイペイ(小川さんのあだな)、最近、お酒振り足りないんだよね」って言われて。「僕、場所用意できるよ」って言って、次の日に場所用意して。
試しにやってみよう、というのではじまったんですよね。何回かやっていくうちに、OF HOTELさんでイベントをやってみようということになりました。
ー小川さんは、結構ラフに「やってみようよ!」という感じなんですね。その気軽な感じはいいですよね。そのカジュアルさで、しかも一人ひとりと話すことを大事にしようと思っているそのマインドが良いですよね。BARのイベントをやっていて良かったと思えた瞬間ってありますか?
やっていて良かったのは…
毎回やって良かった、って思うのは僕たちの好きな人同士で乾杯していたりワイワイ話しているのを横でただ眺められることです。
口コミで広まっているんですよね、このイベント自体。「SNSで広告しないでおこう」「見栄えで来てもらうんじゃなくて、《人》で来てもらおう」と。
だから広がりかたとしては一番「口コミ」で認知が広がってほしいと思います。毎回それでいろんな人が来ていただいて、僕の好きな人と僕の好きな人がお酒で乾杯する。その光景が、めっちゃ好きです。しかも全然違う業界の人たちと。同じ業界もあるけど、そこで何かコラボが生まれたりとか新しい化学反応が生まれた、とか…そうなった時に、その人の人生に違う色が入って、一歩前進できるんじゃないかな。
ー楽しそう…本当に…
※1= 小川さんが2022年に出演していた太白区のコミュニティFM「エフエムたいはく」で毎週水曜日22:00-22:30に放送している「キミトナラジオ」第97・98回参照
キミトナラジオアーカイブサイト= https://kimitona.net/?page_id=1220
仙台で一番面白いことをしている自負
ー地元は仙台ではない小川さんですが、こんな風にイベントを開催したりして楽しむ以外にはどんな風に仙台の街を楽しんでいるんですか?ていうか遊んだりしてるんですか?(笑)
遊んでます、遊んでます(笑)
とにかく仙台にいる人が好きなので。
だから観光的なところではなく…猟友会に入って石巻に行って鹿を狩ったりとか
ーえ、石巻まで行っているんですね
ですね。基本土日は、イベントの運営とかに呼ばれていったり…
ー今まで参加して見て面白かったイベントとか集まりとかありますか?
また行きたいな…って思ったのは…
僕らのBARが一番ですね!
胸を張って、僕らのBARが一番最高だって。
ー他のイベントより面白いぞ、と
来てもらったら絶対沼るんですよ(笑)
ー口コミで広がっているから、知り合いがいる前提で参加するから安心ですしね。話せる人がもうそこにいる、というのは心強いですよね。
「もうちょっと集客頑張って」とは言われるんですけど、「いやーそうじゃないんですよね僕らのBAR」って。
僕らのBARは「BAR Come Back Salmons」という名前にしてから、リストバンドをお客様にしてもらうようにしています。その時の気分を3つに分けてもらって、外の人と話したい気分の時、一人でお酒を
しみたいとき、人の話を聞きたい時、の3種類から選んでもらっています。色々な社長さんとかドクターとかも来るんですけど「あ、あの人社長だ!」とかならないように、年齢とか立場とかそういった経験の差を度外視にして話をできるようにリストバンドの色で「あ、あの人他の人と話したいんだ!」とかタグづけされるので。
エリアも分けて、しっぽり飲みたい人はカウンターゾーンとか…。
友達で終わる人もいれば、「何かコラボできそうじゃない?」という風に仕事や活動でつながることもできます。
「BAR Come Back Salmons」で使用しているリストバンド
自分の気分によって色を選び、入場するときに腕につける
社会の一員として地域に溶け込むために
ーなんかそういう「なんでもやってみよう」みたいな精神は昔からなんですか?チャレンジすることにはあまり抵抗ない、みたいな…
抵抗は…ありましたね。
仙台に来て、僕も友達がいなくて一人だったので。
ーかなりエネルギッシュに活動の幅を広げている小川さんですが、仙台に来てたった2、3年でここまで仙台に溶け込めた理由って何かありますか?
自分が社会の一員としての活動…ってことですよね。
僕が仙台にきて、初めてやったのは「ごみ拾い」ですね。
これは僕が医者になっても知事になってもやる、って決めているんですけど
トングとゴミ袋さえ持っていれば、住民の方って警戒心を解くんですよね。
いつも月曜日の朝にやるんですけど、「おはようございます!今日も生きていてくれてありがとうございます!行ってらっしゃい!」ってやってると、「威勢いいね!元気もらったよ、おばあちゃん」っていって普通に世間話するっていう。
学生団体ariのメンバーとゴミ拾いをしている様子
ちなみにariではこのゴミを他人が落としたご縁だと捉え、“縁拾い”と呼んでいるとのこと!呼び方を変えるだけでちょっぴりいい気分が増す
ーなんだこの元気のいいひとは…ってなりますよね
そこで「最近おばあちゃんだいじょうぶ?元気?」って「あれやこれやあってねえ」という感じで地域の人の声を聞く。
こんなことをやっていたらいつの間にかいろんなことやっていた。っていう
ーそれで知り合いというか、定期的に顔を合わせる人ができて…って感じですか?
できましたね
ーそういう活動を続けていくと、自分も街に対して警戒心解いていけるよね、という
そうですね、それもあります。僕が知事になる時に「東北一の総合診療医」という風に掲げるのも意味があります。ガッツリ医学もできるけど、それを社会にどう浸透させていくかというところが、めっちゃ大事だなと思います。だから1日24時間を僕は3分割に考えていて、8時間を自分のためだけの時間、8時間を医学の勉強、もう8時間は市民としての時間にしているんですよね。分けています。社会性はめっちゃ大事で、そこで専門性につながることもたくさんあるので。「今自分の顔ってどんな顔でいるだろう」とは考えていますね。それでいったら、このインタビューは「市民の顔」で受けていますね。
人生に影響を与えた「ことば」と「人」との出会い
ー人のために何かしたい、という利他の精神が根幹にある小川さんですが、お母さん以外に影響受けた人物とか出来事って具体的にあるんですか?
同志社の時なんですけど、その時の僕って本当にちゃらんぽらんで、授業も全然出ないし…
ーえー!?全然信じられないですね笑
大学生活をエンジョイしたい、ただの一般の文系の大学生だったんで
サークルでよさこいを披露する小川さん
ー普通の大学生だったんですか!?
超普通です!徹夜カラオケ大好き…飲み会行きたい、みたいな。それで人生楽しいや、っていう。顔だけは広かったので、いろんなインターンとか参加していて…まあ、要はノリと勢いだけで生きていた大学生でした。その時に、ある社長さんと出会って飲みにいく機会があったんですけど、そこでその社長さんに「小川くん、君にとってのプロ意識とはなんだい?」っていう風に言われて。考えたことないですもん笑「え!?プロ意識…?な、ななにとしての?」って。「プロ意識…?毎日一生懸命生きていくことですかね」って。「まあ、ちょっと近いんだけど、プロ意識っていうのは今自分が置かれている立場に対してどれだけ真摯に向き合えているかってことだよ」と。
京都時代のことを話すときはちょっと照れていた小川さん
「普通の大学生でした」と言う言葉で親近感を感じることができた
立場っていうのをもう少しいうと、「変わりゆく立場」ということです。僕ら学生じゃないですか。残りの学生生活のうちに、何をするのがプロ意識なのか。今自分が置かれている立場において、何が一番できるか、というところ。その時間の中でしかできないところを本気で向き合うことこそがプロ意識だよ。という風に(その社長さんは)おっしゃっていて。だから、例えば専業主婦(主夫)の方だったら、家事をいかに効率よくこなすか、とか…あれはまさにプロ意識ですよね。じゃあ、僕にとってプロ意識ってなんだろう。と考えたときにすごくもやもやしちゃって…自分にベクトルが向いている生き方が「僕はもっと、他の人のためにできることがあるんじゃないか。なんで自分のために時間をこんなに費やしているんだろう」というところで、僕にとっての「プロ意識」が醸成されていったという感じです。僕の座右の銘は「すべてに情熱と感動を」。今の立場でできることには、すべてに情熱と感動を注ぐことができれば、人生がうまくいくと信じてやっています。
将来医療者を目指すメンバーで組織された学生団体ariの未来
ー現在、学生団体をやっていらっしゃると思うのですが、今どんなメンバーと一緒に活動していて、これからどんな学生と一緒に活動したいですか?
みんな他人を思いやることのできるメンバーで、一緒に活動していますね。僕らの団体(ari)の価値観は「大切なひとの大切な人まで想う」。そこにチーム全体の共有のスタンスがあります。
学生団体ariのメンバーと
学生団体ari instagram=https://www.instagram.com/tohoku_ari/?hl=ja
メンバーそれぞれ医療関係の学生なんですけど、将来自分が携わりたい医療の中の領域、僕でいうと「老年医学」といって、高齢者医療なんですけど…あるひとは小児科、あるひとは障害福祉…とか。領域が違う中で、大学では学べないことを白衣を脱いで、社会に対して実践し、各々が将来につながるような目的を持ってやっています。
ベースとして、他人のことを想いやれる医療関係の学生さんで、自分が将来進みたい道に対して、何かしら学生のうちからチャレンジしてみたいなと思っているような学生さんと一緒に活動してみたいっていうのはありますね。
学生団体ariで開催した「地下鉄子どもアート」
仙台市からの補助金を活用し、宮城県内の子ども120人と共同制作したアート作品を仙台市営地下鉄に1カ月間展示した
ーいままでコロナ禍で、学校での活動をはじめとしていろんな活動が自粛になっていたと思うんですよね。医療関係でも仙台だと福祉系もあるので、そういう学生たちも活動が軒並みオンラインになっていたりしますよね。小川さんのように、前を歩いている先輩と一緒に活動できるのは大いに学びになりますよね。この団体も、人が多くなってきてこれからどのように変化していくのでしょうか。
実は、この団体を5月から一般社団法人にしようと思っています。やることは変わらないです。住民から求められている医療を実践する、という面では。現在行っている活動は、どちらかというと草の根活動的なことが多くて、ボランティアベースで利益を求めずに学生団体だからこそできることをやっていました。ただこれからはしっかりお金をいただいて患者さんのための活動をしていこうと思います。
ーなるほど
地域包括ケア、って聞いたことありますか?地域で亡くなる時に、病院ではなくてお家で最期を迎えましょう。という考えを実践するために、いろんな医療者たちが地域ぐるみでその人を支える、という概念のことを「地域包括ケア」といいます。この概念には在宅医療が含まれています。ariでは今後、病院と提携して在宅医療に関する事業を行っていきます。医療法人さんと僕らが地域で入院し退院してから在宅医療に移行するまでのサポート、そしてこの間の情報共有の仕組みを作ろうというのが今考えている事業です。大事なのは、医療のプロフェッショナルをそこに導入するかではなくて、いかに情報伝達方法の異なる事業所同士の合意形成を行い、患者さんの入退院の流れをスムーズにするか。僕らが事業としてやろうとしていることというのが、この合意形成を作るということです。
ー病院でも行政でもない、小川さんのような方や団体が間に入ると緩衝材になって円滑に進みそうですね
半医者でもあり、半市民でもあるので、両方の気持ちがわかるし…
でも、前提としては患者さんのためにという気持ちがずっとあるので、患者さんのための事業にしたいと思いますね。
究極の利他精神で秋田県知事を目指す
ー小川さんは常々「秋田県知事を目指す」と公言していますが、そこまで強く「秋田」を目指すにはどんな理由があるのでしょうか
東北は震災で設備は復興したけど、人が復興してない、というふうによく言われていますよね。「20年後、日本全体が直面する課題がこの瞬間にも秋田で起きているのに、今僕が秋田に行かねば、誰が秋田に行くんだ」となったときに、僕以上に適任がいないんじゃないかと思ったのが秋田を目指した理由ですね。「じゃあ、僕が行くしかないじゃん!」と。
ー究極の利他精神なんですね。それって秋田じゃなくても、一番困っている地域の一番困っている人たちを助けたい、という突き詰めた結果なんですね。
きっかけはそれで、秋田に行ってみたら秋田という人、土地、文化そのものを大好きになりました。
トライアンドエラーを繰り返して
自分の中の判断基準を探る
ーずっと夢に向かって走り続けるのって難しいことだな、と常々思うのですが、小川さんはどうやってそのモチベーションを保っているんですか?たまには「俺なんて…」っていうふうになったりしますか?
今のところは…ないですね。もちろん、迷うことはもちろんあります。
中途半端に埋まってしまったプロジェクトもありますし…
でもその時に、「結局僕って何をやりたいんだっけ」っていう問いを自分にするんです。「この人生で何をしたいんだっけ」って。僕にとっては、「まずは患者さんの人生を支えられる人間になろう」っていう。
「その支え方は、(病気を)治すだけではなくて、病気を生かす支え方をしよう」という指針があります。そうなると、「じゃあ今のプロジェクトに関わらなくてもいいかな…」とか。
ー判断基準になる、ということですね
そうです。その一点が、何があっても根幹として変わらないところだ、と僕の中で言語化できたもので。
でも医学部に入ってからもめっちゃブレてました。学生団体を立ち上げた時の最初とかも「これでいいのかな」とか。結局、トライアンドエラーしまくって、毎回自分に残る感情とかを言語化して自己内省しまくって…毎回この感情が出てくるなっていうところが。
ー「何回通っても、これは大事なんだ」というところを洗い出す感じですね。「そこでこれが僕のブレない軸なんだ」というのを見つけたという
はい。これは100人に聞かれても胸張って言えるくらいのことですね。それが最初に言った僕のライフワークにも繋がっていきます。
コミュニケーションからアイディアが生まれる
ー社長さんや自分より目上の人と話すときに大切なことはどんなことでしょう?
とにかく礼儀を忘れないことです。お互い人としては対等で、どんな方にも尊敬の念を忘れずに関わっていけば、問題なく話せると思います。ただここで難しいのが、自分の夢とそのための活動を自信を持って伝え続けることです。そうすることで目上の方も、この若者になら想いを託しても良いと思ってくれるはずです。そんな流れで生まれたのが「MIYAGI CRAFT 基金」です
MIYAGI CRAFT基金 サイト= https://npo-machius.amebaownd.com/pages/6560395/page_202210211239
ーえー!?な、何か生まれている…「MIYAGI CRAFT 基金」ってどんな基金なんですか?
この基金は学生のまだ何者でもない想いを形にする。ということを目的としています。
学生ってまだ何者でもない劣等感を感じやすい時期じゃないですか。それって、大人になったらわかると思うんですけど、社会人になって働き始めたら「自分は何者なんだ」っていうことをあんまり思わなくなるんですよ。将来への漠然とした不安を感じる時期ってめっちゃ(人生の中で)大きくて、僕の体験談でいうとその時期こそ自分の理想を映す鏡だと思っていて。それをみないふりをするんじゃなくて、一緒に実現していこうよっていう。やってみて、違った。ってわかったらそれでいいじゃん。って
人生は階段じゃなくて、平面だから、その平面で自分が進んでいく方向を微調整していくような基金です。いつも本当にお世話になっている社長さんに交渉して、僕に入る訳じゃないんですけど「僕の周りにこれやりたい、あれやりたい、でもどうしていいかわからない、っていう学生さんが5、6名いるんで、ちょっと資金提供いいですか」っていうふうにできた基金ですね。
「MIYAGI CRAFT基金」のメンバーと
面白そうな誘いにはとにかく乗っかれ!
ー小川さんが熱い人だから、「これしたい、あれしたい」っていう夢を持った学生さんも集まってくると思うんですよね。ただ、夢を持てない学生さんも多いと思うんですよ。「自分が何やりたいかわからない」「毎日つまらない」と思っている学生も多いと思います。そういう学生たちに、何か考え方とかのアドバイスいただけますか?
考え方のエッセンスはあるんですけど…
「自分が何やりたいかわからない」「毎日つまらない」っていうふうに思っている学生に「なんで日常生活つまらないの」って聞いてもきっと答えは出ないと思うんですよね…
だから胸を張って言える答えは…うーん…。なんか、ありきたりなこと言いたくないんです(笑)
「いろんな人と話そう」とか「チャレンジしよう」とか…「いやそんなこと言われてもできねえよ!」と(笑)
でも僕の腕を伸ばして届く範囲だったら、「一緒に何かやろう、とりあえず参加してみて」って言っちゃいます。
つまり…面白い人がいたら乗っかる、くらいでいいんじゃないかな。
ー思ってもない誘いに乗ったら、面白かったってことはありますよね。私も実体験としてありますね。
あ!大事なのは、「本気でやっている人たち」と出会うことだとも思います。
もちろん息抜きで遊ぶこともとても大切ですが、その延長線で惰性で遊び続けるのではなく、プロ意識を持っている人と出会うこと。本気で練り上げられた思想や挑戦とかと出会うと、それに感化されて恥じらいの優先順位も下がり、普段はしない質問をしちゃったり、能動的に次の活動に繋がったりとかできるので。
ーこのインタビューをみてくれた人にはまた、小川さんの本気も伝播するんじゃないかなと思います。小川さんの活動や団体に興味のある方は「BAR Come Back Salmons」「第40回全国都市緑化仙台フェア 未来の杜せんだい2023」などイベントにご参加いただけると実際にお話することができるのでぜひ!
学生団体ariの活動予定
第40回全国都市緑化仙台フェア 未来の杜せんだい2023
「子どもから大人まで楽しめる!アート体験ワークショップ」
日時:2023年5月13日(土)、14日(日)11:00~16:00
会場:メイン会場(西公園南側地区) 川見デッキ
URL:https://sendai-feelgreen.jp/event/1175/
内容:ルームフレグランス作りや様々な画材や道具を使って楽しめるアートです。手作り屋台で綿あめの配布も!
子どもから大人まで楽しめる内容となっておりますので是非お越しください!皆さまとお会いできるのを心待ちにしております!
東北学院大学 公開講座
大学生と若手社会人が集う、「つながる」Barの魅力
”BarComebackSalmon”&”FuantoroBar”
日時:2023年6月10日(土) 15:00~17:00(受付開始:14:30)
会場:土樋キャンパス ホーイ記念館 コラトリエ・リエゾン
URL:https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/compatibility/post-65.html
令和5年度 学びのまち仙台 市民カレッジ 持続可能な地域づくり講座
「若者」がつくる未来の仙台~まちをつくる若者大集合!!
日時:令和5年6月24日(土)13:30~16:30(予定)
会場:仙台市生涯学習支援センター 第1セミナー室(予定)
※ariは登壇ゲストとして若者が地方創生に挑戦する想いやその先の未来についてお話させていただきます。
編集後記
実はインタビューする前は、「こんなにイケイケに活動している医療系の学生って…」と、自分の中での矛盾したイメージに戸惑い、医学と政治の繋がりがうまく想像できていませんでした。しかし、小川さんとお会いし、お話をさせていただいたことで、彼の現在の活動と将来の展望に一貫性があることを強く感じ、同時に彼自身が自分の使命に周りを巻き込みながらも真摯に向き合っている姿には感銘を受けました。この記事を読んでいる方の中には、小川さんのお話を受けて「こんな人にはなれっこないや〜」という感想を抱く方も少なくはないでしょう。でも、私が読者の方に参考にして欲しいな、と思うのは小川さんがお話してくれた「地域医療への参加の仕方」「自分の夢との向き合い方」だと思います。
もし、小川さんの活動や団体、プロジェクトに興味のある方は直近のイベントに参加するなどしてお話を聞いてみるのも良いかもしれません。
記事を書いた人
山田
デザイン企画
1996年生まれ。宮城県石巻出身、仙台在住。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)空間演出デザイン学科卒。8BOOKsではデザインに関わる仕事を担っている。遠出が極端に苦手だが、散歩は好きで、引っ越しの回数は人より多い。
好きな作家
三浦綾子
高瀬準子
町田康
モーパッサン