この企画では、仙台在住の25歳以下の若者世代が日々どんなことを考えて過ごしているかをインタビュー。
「仙台っていまいち楽しいことないな」
「なんかしてみたいけど、どんなことをしたらいいか分からない」
と思っている若者のみなさん、このインタビューを読んだらきっと仙台を舞台に自分を表現したくなるはずです。
【今回のインタビュー:佐々木 湧雅(ささき・ゆうが)さん】
仙台でおもしろそうなイベントに行くと必ずそこに佐々木さんがいることにある時気づきました…。超絶陽気な活動家というイメージがありましたが、実際にお話ししてみると本好きな佐々木さんの素顔が見えてきました。今回は佐々木さんの人生をなぞりながらどんなことを考えながら動いているのか、今後の展望についても迫ります。
所属団体が多すぎる大学生
ーそれではお名前と所属、年齢を教えてください。
尚絅学院大学人文社会学部4年の佐々木湧雅です。22歳です。所属は…えーと
ー所属が多すぎると聞いたので、どんな団体やプロジェクトに参加しているかお伺いするのが楽しみです。
多いですね(笑)尚絅クリエイティブラボっていう自分が立ち上げた任意団体が一つと、あとはそうですね、ONE TOHOKU(※1)にもいますし…あとコミュニティとかそういうのでいくと、一般社団法人コーヒーハウスジャパンっていう高校生から大学生、社会人、自治体の方々とか毎月集まれるようなイベントを企画してる団体と、あとは学生団体でAIRFIELD(※2)っていう学生団体にもいまして、ここはこの前《若者アワード》(※3)で最優秀賞をいただきました
仙台若者SDGsアワードで佐々木さんの所属する学生団体『AIRFIELD』は最優秀賞を受賞した
※1 ONE TOHOKU=一般社団法人 ONE TOHOKU HUB https://www.onetohoku.com/
※2 AIRFIELD=2022年に結成。大学生と中小企業をつなぐ学生団体。https://www.instagram.com/air_field_student/
※3 仙台若者SDGsアワード=若者の社会参加を一層促進することを目的として、社会課題の解決に向けて取り組む団体が行う優れた活動を表彰する大会(仙台市HPより)https://www.city.sendai.jp/kyodosuishin/kurashi/manabu/npo/shimin/oshirase/award2023presentation.html
ー《若者アワード》は若者のSDGsな取り組みに対するアワードですよね
そうです。ワカツク(※一般社団法人 ワカツク)とかがやっていた若者アワード、それが一つ。
あとは、インターンなんですけどMAKOTO WILLっていう東北と北海道のまちづくり、企業支援・創業支援をしている会社でもインターンをしています。あとはSONNPO環境財団で宮城地区チューターとして今年一年間活動させてもらってて…そこは全国のいろんな環境系の団体やNPOとか社団とかそういう活動されている団体にインターン生を派遣して活動してもらうっていうところです。自分はそこの相談役っていう立ち位置で関わらせてもらっています。
ーすでに6団体に所属していますね(笑)富谷でも活動をしていると聞いたのですが、そのお話を伺ってもいいですか?
それですね。富谷市でやっている起業塾の富谷塾にも参加しています。その中で毎月1回集まって、市長に話していただいたりとか、起業家の方がいらっしゃったり、ワークショップを開催したりとか、ここ入ってたのはけっこう大きい(影響)かな…
ーこの団体には結構前から入会されているんですか?
そうです、結構前から…大学二年生くらいから。あと、ローカル富谷っていうNPOで正会員をしてます。
ー8団体ですか!どんな風にバランスをとって各団体の活動をしているのか気になりますね。
そうですね。もっと本当はあるんですよ。入ってるだけのコミュニティだったらもっと増えてきたりして。《きっかけのきっかけになる》と自分自身が掲げているように、自分がやりたいことがあると思っています。そうやって動いていく中で、どんどん所属というか、籍を置いている場所が増えてきたという感じです。毎回そこで仕事というか、やらなきゃいけないことがあるわけではなくて、出されている企画に対して自分が興味あるものに参加してるという感覚が近いです。
誰かの「きっかけのきっかけ」になる
ーたくさんコミュニティや団体に所属している訳ですが、どういう目的があるのでしょうか?例えば、なりたい姿があるのか、楽しいことしたいな、何かしたいななど(衝動的なもの)に突き動かされているのでしょうか。
(なりたい姿も、衝動的目的も)どちらもありますね。去年の3月に自分のプロフィールに《きっかけのきっかけになる》と掲げました。それこそ小川さん(※1)がやっていたBAR Come Back Salmons(※2)の記事に使われている写真(に写っているの)、自分が しゃべっているやつなんですけど(笑)
BAR Come Back Salmonsの企画でお話をする佐々木さん
※1 小川泰佑さん=宮城県で医学生兼起業家。一般社団法人 ari 代表理事。8BOOKsで取り組むU-25インタビューで最初にお話を伺った。
※2 BAR Come Back Salmons(バー カムバックサーモンズ)=小川さんが仙台市青葉区花京院にあるOF HOTELで不定期で開催しているイベント。東北の良いところを語り合いながら美味しいお酒を飲むことができる。
ー佐々木さんだったんですね、写っていたの(笑)
BAR Come Back Salmons出た時に、自分の活動をあてはめて出てきた言葉(《きっかけのきっかけになる》)として掲げていて。動くようになったのは、それこそ本を友達に紹介するとか、その人にその本が必要だと思ったときに本を紹介したりとか。ここに行ったらいいとか、この人に会ってみたらとか、このイベント参加したらとか勧めることは以前からやってきていました。人の人生に間接的に関わるというか《きっかけのきっかけ》って言ってるのは直接的に影響を与えられる人になるとその人自身にとってマイナスだなって自分は思っています。なぜかと言うと、自分に聞いたらそれ(問題)が解決するとか。そういう存在って(その人にとって)大事ではあるけどその人自身が成長しないというか…。繋ぐまでができたらいいなと思っていて。本当は小学生くらいから友達集めてとか、秘密基地作るの好きだったので。
ーそういうのを一緒にやる友達って「こいつパッション合うな」みたいな感じで、「なんかおもろそうだから行くか」で来てくれてるのかな。
そうですね。もう、小学生の時点から場所を借りてイベントをするみたいなことは(やってましたね)
小学生時代は本と野球に夢中だった
ー小学生にしてすごい行動力ですね。そこではどんな企画を?
自分が住んでいる町内の…自分の家のすぐ前が公園でした。そこに会館があるのでクリスマス会をして、それも自主企画という感じで。
ー町内会館みたいな感じ?
そうですね。クラスの半分は来てくれました。多分20人くらいは。
ーえっ!クラスの子に「ここでこんなことするから来てよ」みたいな感じで誘ったの?
そうですそうです。みんなで企画して。(学校の)イベントごとの実行委員をずっとしてきていて。で、図書委員もしてきて。そうやって動いてきたから、(これまで)ずっと一つのコミュニティには属してはなかった。友達の輪にしろ、なににしろ…
ー自分がコミュニティを作る側の人なのかもしれないですね。そして、気づいたらいなくなっているみたいな(笑)
それもあります(笑)
とにかく本が好きで図書委員に
ーそういう、人を集めてわちゃわちゃしたりすることが好きという傍ら、図書委員をしていたのがあったと思うんですけど、なんで図書委員をしていたんですか?
絵本ってみんな好きじゃないですか。その感覚のまま小学生になれたっていうのが自分にはあって。幼稚園ぐらいから、夜、親に絵本を読んでもらうことがあって。小1になった時に、すぐそのまんま本を借りるようになりましたね。小学生で一番本を読んでいた時は、朝に図書室で本を借りる。それで、1、2時間目の間に読む。行間休みにまた借りに行く。3、4時間目で読む。昼休みくらいに借りに行く。5、6時間目に読む。また放課後借りに行く。家に帰って読む…みたいな。一年で600冊くらい読んでた気がするな。
ー小学生にして多読家ですね。ちょっと話はずれますが、小学校の時にいちばん思い出に残った『これめっちゃ読んでよかった!』とか『これ好き!』みたいな本ってありますか?
それでいくと、五味太郎さんの『勉強しなければだいじょうぶ』(※)っていう本をめちゃくちゃ読んでて。
※『勉強しなければだいじょうぶ』(著者:五味太郎 出版:朝日新聞出版):子どもが本来持っている豊かな才能を伸ばすことができるかを楽しいイラストとともに綴った教育論をまとめた一冊。
ーちょっと、哲学的なやつですよね。
その影響が大きかったかもしれないですね。今思えば。
ーそんなに多読っていうことは、授業時間に本を読んでますよね(笑)
授業中に完全に読んでます。本なら(先生に)文句言われないだろうと思って。意外と授業中は静かにしてると思われてて(笑)その本(『勉強しなければ大丈夫』)が、《勉強はやらされるもので学習は自分からすることなんだ》ということが書いていて、今の教育に対しての五味太郎さんなりの訴えと、自分が絵本作家になるまでの話がまとめられた本です。『さる・るるる』っていう絵本があるんですけど。それを(五味さんは)シャワー浴びてる間に絵本の内容を思いついて、30分で作って、15万部も売れちゃったんだよっていうお話しがあったり(笑)五味太郎さんのそういう感覚に共感しました。あとは『ひみつシリーズ(『学研まんがひみつシリーズ』)って漫画もよく読んでいました。いろんな分野の小さな知識について書いてある本なのですが、それを読んで雑学王みたいな状態になっていました…。あとは、伝記もすごい読みましたね。
ちょっと話が飛ぶんですけど、精神科の先生に《幼少期に本を読みすぎてるから人格がいっぱいあるような状態なんだ》って話をされたことがあって(笑)
ー(人格が)まとまらないという…
そうなんです。まとまらないんですよ。
ー中学校でも図書委員?
図書委員も、ハマっていた野球とは別でもちろんやっていました。
ーすごい(笑)本当に、本が好きな純粋な気持ちのまま…
そうです。逆にやらされる勉強をしなかったからこそ、知識欲がずっとあるんだろうなと思います。
ーなるほど。自分の中の疑問に素直に向き合っている感覚なんですね。
五味太郎の絵本が好きなのもあったので、絵本の先の本も自然と好きになりました
ー中学生になって、部活や勉強で忙しい中でも本は読み続けていたんですね。
そうなんですよ。どんなに疲れていても、部活終わって家帰ってから本を読んだりするんですよ!3年間で200…300冊いかないくらいですね。
TOMI+(https://tomipura.com/)に置いてる湧雅な図書館 貸出自由
ーだいぶ読んでますね。
結構読んだと思います。1ヶ月で10冊くらいは平均的に読んでたと思いますね
ーよく読んでいたのはどういうジャンルの本が多かったですか?
ジャンル問わずたくさん読みましたね。たぶん小説が多かったかな…。その時(中学校時代)の司書さんが3年間の記録を全部まとめてくれたんですよ。自分たちの学年が(校内で)ダントツに図書室から借りて本を読む人が多かったですね。
ーそれってもしかして、佐々木さんが図書室で借りて読んでいるから周りも読書をするというムーブメントが起こっていたのでは…?
それもある、読書や本もコミュニティになっていましたね。
ーええすてき!中学生って《本なんか読まねーよ》の時期じゃないですか。本読んでるやつダサい的な風潮がある中で…
堂々と読んでるというか。自分の理想の状態は教室で1人で本を読んでいて、その周りで友達がしゃべってるみたいな状態でした。みんなの輪の中にはいるけど自分は別のことしてて、自分の探求心はそこで埋められるし、プラス一緒に時間も共有できる状態がすごい理想だったので。
ーそれってこう…周りに受け入れられてるからこそ、できる姿な気がしますね。ある意味周りに受け入れられてる状態でありたいなっていうのがあったんですかね?
たしかにそれはあるかもしれないっすね。
野球少年から陸上部員に
苦悩の高校生活が始まる
ーそして高校では野球じゃなくて陸上に…?
陸上になるんですよ。一回、野球部休みの日に陸上部の練習に行って怒られたことが…《何のためのオフだと思ってるんだ、休め》みたいな。駅伝では県大会で区間4位になりました。それがきっかけで東北高校のスポーツ科に(行くことに)。《勉強から走って逃げます》って3年生でずっと言ってたんですよ。それで高校では陸上部に入ることになりました。
ー中学時代は陸上を楽しくやっていたんですね。
その時はやっぱ楽しかったんですけど、今思えばたぶん、成績がいいから楽しいんですよね。結果出るから楽しいし。
ーなるほど
高校生になったら、ほんとにただ走るだけの生活。本当に楽しくなかったっすね。
高校時代の佐々木さん
ー普通の高校生しながらスポーツやるってよりも、スポーツするために高校に行くってこと?
そうです。それが部活なんですよ。毎週金曜が4時間授業で5、6時間目がスポーツ実習。本当に部活しに行ってる。中学の卒業文集では《箱根駅伝、目指します》とか書いてたんですよ…書いたんですけど…。毎日部活で、行き帰りは往復で24キロチャリ漕いで
ー富谷から毎日ですか?
そうですね。50分くらい。クラスメイトは全員部活に入っているので…文化祭とかも一応あるにはあったんですが、計画立てる時点でその日いける、確実に来れるのが4人くらいなんですよ。《ここ勝ち進んだらここ来れない》とか『この遠征優先で』とか。クラスに40人弱居るのに全然人が集まらない。なんかそういうとこ(学校の行事)を楽しみたい人間だったので、《そういう感じかあ》と思っちゃいました
ー中学まではいろんなことを楽しんだり、やったりできる余白があった感じだったのが変わっちゃったんですね。
楽しくスポーツやってて友達と楽しいことして本読んでこれが多分全部スポーツに吸い取られてちょっとバランス崩れて。でもまぁそんな中でも、やっぱ本は読むみたいで、図書館は通ってて…《図書委員やっていいですか?》って二年生ぐらいのときに司書の先生に言ってみたんです。そしたら『いいよ』って。メンバーが全然いなかったんで消去法で図書委員長になるんですけど。放課後は絶対に部活だから、昼やすみの30分ぐらいでなんとか毎月図書館だよりを発行していくみたいな生活でした。自分でテキスト書いて画像貼り付けて、新着本ならべてみたいな。でも、それしてるのを見て顧問の先生に《余計なことするな》って怒られたんですよね。
ー部活以外のことはするな、ということですか
《(陸上に)集中しろ》みたいな。《俺にとってこれは集中してるんだけどな》って思いましたね
ーたしかに。佐々木さんのお話を聞いてると、スポーツとかいろんなことに集中するために他のことをやってバランスをとるという感じなのかなというのが伝わりますけどね。
かと(自分でも)思ったんですけど、あまり伝わらなくて…。それで結構病んで、高校3年生の時に鬱…みたいな感じになって。なんか自分はわかってなかったんですけど、1年生の時点でもう結構やばかったみたいで、周りからみたら全然教室で喋らないやつ。ほんとに一言も喋んなかったから。みんなは昼休みはだらだらしてて、そもそも学校に勉強しに来てないんで、午後から始まる部活の為にみんな早弁して、放課後部活に行く生活。それだけの世界だったんで、喋る奴もいないというか。そんな感じで部活中心の生活だから、《遊びに行こう》とは誰もなりませんでした。
ーそんな風に振る舞っちゃいけないっていう雰囲気だったんですか?
いや、行く暇もなくっていうのが一番ですね。とにかく部活で身体が疲れてたし。通学中も《車に轢かれねぇかな》ぐらい。本当に3年間そう思っていましたね。
ー陸上って特に、一人だけのスポーツだと思うので、月並みだけど自分との闘いになるから余計に追い込まれそうですね。
追い込まれてたなぁとおもって。その時期は読んでる本も暗いのが多かったですね。自分を(鬱の方向に)加速させてるというか
ーもうそういうのに自然と惹かれてしまうくらいの心理状態だったんですね。
なんか元気な本ってなんか《落ち込んだ時に読みなよ》みたいな明るい本って、実際しんどい時は読めないじゃないですか。そんな感じで、高校総体が終わって…ほんとに走れないんですよ。体が重くて。その時期から学校に行ったり行かなかったりという感じになりました。大学でも陸上を続けるつもりだったのですが《そもそも陸上を辞めるから》という理由で進学も一旦白紙にしました。それをみていた司書の先生から泉図書館にあるYA図書委員でのボランティアを勧められました。それでは夏休みに図書館見学したりとか、図書館の作業をしてみたり…あとはイベントを開催したり、ブースを企画ということをやらせてもらって《結局自分は本なのかな》と思いました。
ー高校では2年間図書委員を続けていたんですね。
そうですね。図書委員は2年間やりました。YA図書委員(※1)で【のびすく】(※2)っていう中高生の場所づくりしてる施設といっしょにイベントを開催しました。それがきっかけでのびすくに入ることになりました。そんなことをしながら、大学生になるっていう流れなんですけど…暗いことばっかりではなくて、地元のずっと仲が良い友達とは定期的に集まって花火したりして遊んだりしていましたね。
※1 YA図書委員=図書館でボランティアとして活動する中高生で構成された図書委員
※2 のびすく=仙台市内にある行政が運営している子育て応援施設
コロナ禍下ではじまった大学生活
ー《陸上やめます》と言って推薦を取り下げたあとは違う大学に進んだんですね。
そうです。それで尚絅に入りました。尚絅は学類制なので、領域が広いんです。自分は(取り組むことを)一個に絞っちゃダメだっていうのを高校時代に知ったので…。でも大学に入学した途端コロナが始まって。
ーちょうど大学に入学した年ですね。
そうなんですよ、高校の卒業式がギリギリなくなって。《横浜にクルーズ船が…》とかざわざわしていた時期です。東北高校の生徒は東北だけではなくて全国からきているだけあって卒業式はしないことになりました。おそらく、東北高校が県内で唯一卒業式がない高校でした。
ーじゃあ、結構暗い感じで大学生活がはじまったんですか
ん〜そうでもないですね(笑)ずっと家で寝てたけど、ラジオ聞いててラジオに出たくなって…FM泉が最寄り(のラジオ局)なんですけどそこに突撃して、高3の3月末か4月くらい《出してください》って(笑)
別のラジオに出演した時の写真
ーアポなしで?
アポなしです(笑)それで出させてもらったんですが、それこそ本の話をしました。それがきっかけで《環境の番組をやるから10分番組やってみない?》って。大学の方はコロナの影響もあって、オンラインで授業を受けるようになりました...でも授業は受けてなかったですね。結局なんか気持ちが落ちたまま始まって、PC開いて(授業)受けるのめんどくさいな〜てなっちゃって。で、1年の前期は4単位しか取れませんでした。確か。
ーそれが伝説の…
そう。GPA0.04って数字。(授業を)2つくらいしか取んなくて
ー改めて数字を聞くとすごすぎる(笑)
すごいっす本当に。でも夏くらいからのびすくが開館して、また中高生の悩みを聞いたり、話したりっていうのをたくさんしました。そんな日々の中でギターを弾くイベントを企画して開催したりもしました。あとはビブリオバトルもやりましたね。
ー佐々木さんの人生の本筋じゃないところにはなんかずっと本がありますね。
そうです。そんな感じがします。それでのびすくで働きながら、本を読みながら、友達と話しながら…ずーっと地元の友達と会っていました。自分がちょっと落ちてるってわかってくれている友達だったのが余計に楽でした。
ーめっちゃいい友達〜!
ですよね(笑)いつ電話しても出てくれる友達。そこでなんかずっと過去の話をしていくというか、もうなんも話すこと無いんで《いつ誰がどの時誰が好きだったか》っていう話になったりとか
ーある意味カウンセリングみたいな時間ですね。
そんな時間だったな。で、なんかそこのメンバーの前では中学生の時の自分に戻るというか…明るい自分になれました。いま筑波大にいる友達がいるんですけど本を好きになったって自分に言ってくれて…。その子が俺が地元の中だけで面白いやつであるのがすごくもったいない、って思ってくれてたみたいで《※ビジコンに出よう》って誘ってくれて。東大と博報堂がやってるアイデアコンテストみたいなのがあって、それが【普通】って言葉を掘り下げて、なにかコンセプトを決めて最終的に形(ビジネス)にして発表するっていうものでした。
※BranCo!大学生のためのブランドデザインコンテスト=https://branco.h-branddesign.com/
ー結構難しそうなお題ですね…
そうなんですよ。まぁダメだったんですけど、一回戦で敗退でした。そんなことをやりつつ…普段はひたすら服を買いまくったり…
ー佐々木さんは古着が好きなんですよね。
古着好きですね、古着屋さんの店員さん、それこそ仙台の本町の古着屋さんの方々と知り合いで。よく行く店3つくらいあるんですけどこの間もそこに行ってきました。
ーどこ?
biscco(ビスコ)(※1)っていう…」
ーあー!仙台でもかなり有名な古着屋さんですよね。
bisccoさんに高二の時に行ってそこでハマりました。たぶん、いま小学生の時に着ていた服で大学に行ってもおかしくないぐらいの服装をしてました。
ー古着屋さんは他にどこ行きますか?
biscco以外なら…Utah(ユタ)(※2)とooooo(オーズ)(※3)とかあの辺ですね。
※1 仙台古着屋bisco(ビスコ)=仙台市青葉区本町二丁目に店舗を構える。良質なメンズ&レディースの古着を取り揃えているのが特徴。 サイト:https://www.biscco.jp/
※2 Utah(ユタ)=仙台市青葉区本町二丁目にある古着とヴィンテージのメンズクローズショップ。レディースクローズを扱う「IORI」とは姉妹店。サイト:https://utahltdshop.thebase.in/※3 ooooo(オーズ)=仙台市青葉区本町にある古着屋。2ヶ月に1度、アメリカで直接買い付けしたユニセックスな古着が揃う。夜22時まで開いているので、仕事終わりにも寄れるのが嬉しい。サイト:https://ooooo.official.ec/about
佐々木さん愛用のパソコンには古着屋「オーズ」のステッカーも。それにしても佐々木さんの個性が表現されたPCだな…
ーおお、オーズいいですね。
あの壊れそうなエレベータに登っていくとこです。あそこ独特の服があるから、(価格帯は)ものによりますね。俺、それこそbiscoのインスタに乗せてもらってるんですよ。これ自分なんですよ。
biscoさんのInstagramに掲載された写真(https://www.instagram.com/biscco288/)
ー本当だ!
これ乗せてもらったのを他のお店の店員さんがみてて《この間、biscoのインスタに載ってたね〜》って言われたり…
いつの間にか誰かを巻き込み、流れにのる…
『祭り』の感覚を大事にしたい
ー素敵な繋がりですね〜
と、いうような感じでほんとに遊んでましたね。遊びつつビジコンでた1年生。それで、2年生になって…遊んでいた中でも地域の授業は真面目に受けていました。唯一そこの授業だけ。2年生になってやっと対面でしっかり授業受けるようになって、そこからまぁ授業..まぁちゃんとは出て無いですね(笑)でも多分学校の中で一番目立ってる。全員に覚えられてる。最初からそうだったんで。成績悪いからなんですけど…大学でも結構友達が多分一番多いやつですね。
学祭で台本無しで喋り続けるイベントを開催。イカした告知画像
ー友達多かったり、目立ってたりするのは佐々木くんがアプローチしてるから、という理由でなんですか?
話しかけたりもするし、なんか最初ツイッターでなんかオンラインで話そうみたいなのをやったりしていたのでそれもありますね。
ーあぁなるほど。入学前に同じ大学に進学する人と交流して…って感じだったんですね。
そうやって出会った友達といまだに遊んだりするんで。なんかもう男女10人くらいのグループになってたんで。大学では普通に遊びながら、のびすくで仕事とかイベントとか…相談乗りながらっていう時に《のびすく以外も見てみたいな》ってなり…。市民活動とか色々やってる団体さんが他にないかなぁと思い、石巻のプレーパークのボランティアをさせてもらって。それがきっかけで、プレーパークの県内で活動している人全員に会わせてもらったりとかして。あとは、授業のフィールドワークで個人的に富谷市にできた『とみやど』っていう観光施設行った時に《なんか思ってたのと違うな》と思って…
ー佐々木さんが《こんな施設じゃないと思った》と言っていたけど、最初の印象はどんな感じだったの?
最初はこんなもんなんだ、という印象。企画って大体いいビジュアルのCG画面みたいなの出されるじゃないですかドンって それをみてずっと企画見て追ってて楽しみにしてたので《あれ、もっとなんか…》ってうまく言葉にできないんですけど。
ーちょっと違和感を感じた、っていうのが近いんですかね。
うーん。意外としょぼいなみたいな。その感覚をそのまま宮城大学の先生に伝えてみたんです。そしたら《じゃ色々インタビューしてみな、動いてみな》って言ってもらえて。『とみやど』に入っている全店舗の方にインタビューしました。それで、市の人とお話したりしていたら市長と話す機会を作ってくれて…ちょうどそんぐらいのタイミングで『富谷塾』に入るんですよね。『富谷塾』に入ってそこで市長と話して自分のまちづくりとか《このままじゃダメだと思うんですよ》っていう意見を伝えました。
実際に市長に意見を伝えに行った時の様子
ー地元の富谷での活動が多いと思うんですけど、やっぱり地元に何か還元したいという気持ちがあったりするんでしょうか
そうですね。自分の両親が秋田生まれで、お祭り(※)が7月下旬にあるんですけど…世界無形文化のあれっすね、世界遺産に登録されてて。まちが店全部休みになるんですよ。小中学校も休みになって…っていう価値観。
※土崎港曳山まつりhttps://tutizaki-hikiyama.com/
ー祭りってそういう力がありますよね。1年にその日だけは…というか
それがすごいなぁと思って、なんかその感覚が自分の中にあります。地域愛が強い人たちをみて_親も含めですけど_富谷って地域を見た時に《なんか違うなぁ》って。住みやすさ1位になってるけど(住んでいる人が富谷に対して)愛着があるわけではないっていう…そこを変えたい
成人式の同窓会に111人集める
ー佐々木さんがいろんな団体に所属し始めたのは大学3年生くらいですね。
そうですね。大学2年生は同窓会を全力でやっていました。
ー成人式の、ですか?
はい、成人式のあとの。111人も集まったんですよ。
ーすごい!111人も…
二次会、三次会って会場も用意して。先生方にインタビューしてCGで動画作って、HP作って…って超でかい会をやって。終わってからなんか疲れてめっちゃ
ー聞いているだけで疲れそうです…
で、なんか地元とちょっと距離置きたいなと思ってたんですよ、その時期。ずっと友達と会ってばっかだったんで。
ーそれは、地元のプロジェクトばかりに取り組んでいたから…?
うーん。というか、地元の友達とばっかり会っていたからですね。活動はいいんですけど地元の友達と会う時間がちょっと多すぎると思ったんで、地元との卒業式だ!みたいな気持ちで、全力で。
ーこれが最後だ!みたいな
はい。そんな感じでやったらちょっと疲れちゃって。2ヶ月くらい休んで…。そしたらなんか急におかしくなって《なんかしないと!》って。いきなり《漁師させてください!》みたいな感じになって漁師をすることになりました。
ーそのタイミングで漁師!?
まあ、1ヶ月住み込み漁師やってそっからっすね。そこで地元貢献とか_富谷もそうですけど_外側を見ようと。あと《別のことをしよう、家から出てみよう》てなって。自分でお金を稼ぐのを学ぶっていうのもあるし、自分で生活する。ずっと実家(に住んでいる状態)だったんで。漁師をやった後は《次は農業だ!》と大衡村のなんか米の農家さんの田植えの手伝いを。
ーそれは突然?
農業は(富谷塾の参加者に)誘われて。富谷塾にいろんな方がいるので、それがよかったですね。
ー佐々木さんは富谷塾を起点に《自分こういうことしたいんですけど知り合いいますか?》っていう感じで繋がっていったんですね。
というよりも逆に大学生が自分くらいしかいなかったので。《こういうのあるけど》とか言ってもらえたり。SONPO環境財団のインターンとして1年間動きつつのびすくで働きつつ、富谷塾で活動して…その間にMー1出るとか色々ありますけど(笑)
ー地域系の活動じゃないけど、人を集めて何かイベントやるっていうのも、佐々木さんがいろんな活動や取り組みをやっているから自然に今まで関わった人が引き寄せられているっていう感じがしますね。限られた時間の中で、漁師とか漫才とか、テキストを書いたりとか。客観的にみていると《この人1日何時間あるの?どういうこと?》ってなりますね(笑)
2023年は「学生謳歌」の年にしたかった
ーちょっと話が変わるのですが、佐々木さんが今一番何が頑張りたいことってどんなことですか?
今年は目標が“学生謳歌”だったので学生として生活しようと思っていました。ずっと大人としか絡んでないんですよ。それで、ずっと遊んでた友達と距離をおいて、学生生活なにかしないともったいないなと思って…。それで、去年あたりから大学の中庭に居座ってとか。
大学の広場で座り込みを始めた当初。「ここから始まった」感のある写真だ
ー去年からなんですね。(※佐々木さんは通っている大学の中庭にギターを持ち込んだりしてコミュニティを作る試みをしていた。最初は友人や知人10人程度の集まりだったらしいが、徐々に人が集まり100名ほどのコミュニティを形成した。)
去年なんですよ。去年の夏以降かな、自分がしてきた経験をもっと還元しないと、という気持ちになって。大学で尚絅クリエイティブラボ(※1)という企画に取り組んでいます。
※1尚絅クリエイティブラボでは佐々木さんを発端に《大学を面白くする!》というコンセプトを掲げて大学で焚き火をしたり、広場に集まって一緒に時間を過ごすなどしている。名取市の地域DX推進サポーターとしても活動している。Xアカウント=https://twitter.com/shokei_CL
ーなるほど。今まで自分が何かプロジェクトにジョインする側だったけれど、今度は自分が企画してやってみよう、となったんですね。
そう、あとやっぱり自分は場づくりがやりたいと思って。自分の活動の原点は場づくりをやっていたのは『のびすく』だと思うので。学生のコミュニティがない、コロナで場づくりが制限されてたから出来なかった所でもあるんですけど(コロナが落ち着いてきて)やっとそういう取り組みが出来るってなってきて…一緒に活動をやれる友達にも出会えて。友達から仲間に変わっていくみたいな。
ー《話しているうちにパッションが合って》という感じですね。
そうなんですよ。あとは、《こういうことを知りたいからこの団体、プロジェクトに関わってみようかな》というのも自分の行動の意図としてあります。
ーひとつの団体にいるとそこで全て完結させないといけない感じになると思うんですけど、佐々木さんのように色んなとこに入ることによって専門的な知識をつまみ食いするように学べますね。
そうですそうです。いろんな団体とかプロジェクトに関わって、最終的にまちづくりに行き着いた感じもしています。多分、自分が今まで取り組んできたことって、居場所づくりの文脈とまちづくりの文脈があったと思うんですよ。その2つが今合わさって新しい文脈にまとまってきた感じがあります。
ー佐々木さんが取り組んだプロジェクトで100人大学生を集めた、というのが合ったと思うのですが
それは大学で座り込みした時ですね。座り込みのやつはプレーパーク的なことを大学でやりたくて。それでギター持ってきて、ギター弾いて。そしたら《ギター弾きたい》って後輩が集まってきたり。
ーそういう風に人が集う風景が自然に生まれるって何が要因なんですかね
何なんだろう。チョイスした場所がいいのか、雰囲気がいいのか…。人を集められてるその理由は何だろう。アイディアが面白いっていう理由はあるだろうし、全力で自分が楽しそうでいいなって思うのかな…
ー佐々木さんのその場を楽しんでいる雰囲気が伝播しているのかもしれないですね。定禅寺通りで行っていた『話場』(※)もそういう雰囲気で人が集まってきたんじゃないかな。
そうですね。そういう感じでした。今までの活動とか経験が全部合わさって『話場』ができた気がします。まあ理想としては、イベント立ち上げて、会場にはいるけど輪の中心にはいないというものです。それが今回はできた気がします。
※学生BAR『話場』=仙台市の定禅寺通りに社会実験として期間限定で設置された「ISOL」というコンテナハウスを使って11月15日、16日の2日間にわたって佐々木さんと、STUDIO080の五十嵐さんによる話を買い取るBARがオープンした。来店したお客さんに『話』を売ってもらいその場で話をする場所を提供。2日間でなんと101話も話を買い取った。
学生BAR『話場』にてお客さんと話の売り買いをする様子
「なに」が輪の中心になれば心地良いコミュニティを形成できるのか
大学で弾き語りしていた時に心地よかったのは、音楽が中心になったからかも。自分を中心に展開されるのではなくて、音楽が中心になって人が集まった。それで、自分がギターを弾いてたのを見て弾きたい人が出てきて、その人が弾いてるから…という感じで人が人を呼んでいました。でも実際は、みんなが同じ場に居て別々のことをしてるだけで終わっちゃう。そんなに繋がり作れないな、と思ったので次にたき火をするようになりました。
ー自分を輪の中心からずらす感覚でしょうか
そうです。集まってくる人は、自分が注目されるために参加しているところがあるんじゃないかなって感覚があって。火が中心となった時に、自分がいなくても良くなりました。自分がいなくても、誰かが火を灯して…友達が継いでくれて、運営もほぼやってくれて。自分はもうフラッと参加するくらいになりました。
ーそれは素晴らしいですね。継承されたんですね。
でも、これって火があるからの話。たき火はどこでもできるわけではないから…それで、火の代わりに話を据えようと思ってできたのが『話場』でした。話を中心にすると、誰もが主人公になれる。人がいて、しゃべれて、聞けたらそれでいい。
ーちょっと本の文脈に戻ってきた感じがしますね。
そうですね。話すことは得意でもあったし、聞くのも。あと、発信していく力がどんどん自分の中でついてきた。インスタのフォロワーが2023年1月に600人になりました。で、それこそ、8BOOKsのアンバサダー募集を見て、3月までに1000人だっていうので意識的にインスタやるようになって…
ーそれは思わぬ効果(笑)当時アンバサダーの募集では1000人以上フォロワーがいる人に応募資格がありましたね。
それもあって意識的に増やすようになりました。
ー佐々木さんのフォロワーっていま1400人くらいいるでしょ。
そうです、1400人になりましたね。今年は本当に色んな方に会えて、繋がれて、それ(アンバサダー募集)見た時に隣で授業受けてる人とか。授業のペアワークとかの後とかも《交換しよ》って言うようになって。文章はずっと書いてて、たまに書きたくなって、書いてインスタあげるんですけど友達とかが面白がって読んでくれています。あと、それを見て、話しかけてくれたインスタで繋がっている同じ大学の人から《あれ読んだよ》って言われるようにもなりました。
ー佐々木さんがそういう人間だからかもしれないけど、結構ひねくれてる人が周りに居ないんですね。そうやって、ポジティブな感想を伝えてくれる人が周りにいるって素敵なことですよね。
本当にありがたいです(笑)
ー「やっぱ、人っすね」とか言われるとうっとうしいな、とか思っちゃうけど「やっぱ、人っすね」ってことになりそう(笑)
仙台と自分の未来を重ね合わせる
ー佐々木さん的には未来の仙台はどんな感じになっていて欲しいですか?こういう風な学生がいたらいいなとか。
宮城県内には5万人の大学生がいて、たしか全国的にはトップ10前後くらい(※)。学生の割合が多い街なのにどうも積極的な学生はでてこないなと思っています。そこをもっと増やしたいし、盛り上げたいからこそ、もう一年学生をするっていう選択をすることにしました。
※宮城県の大学生は約5万人、全国12位https://graphtochart.com/japan/world-number-of-university-students2.php)
ー今休学してますもんね。
ですね。あと、俺は所属する団体を絶対一つに絞りたくないと言うか…。
ーどちらかというと、レコメンドする人になってみたいって言ってましたもんね。
そうなんですよ。いろんな団体にいることによって、全員にとって話しかけやすいやつでありたいですし。
ーそういう存在の必要性は感じますね。繋げ役、というか。
理想は色んなところに知り合いがいて、(何か)やりたいと思ったら出来て、多分、歩いてて話しかけられる状態で。最近、仙台歩いてると100%知り合いに会えるんですよ。アーケードでも、どこでも。自分は全国的に見ても相当イベントに参加してる人だと思うんですよ。月の平均が大体8回くらい。イベントに参加してた方も「あっ」って話しかけてくれて。本当にこの髪型で良かったみたいな(笑)《髪型で覚えてる!》みたいに言われたりすることもあります。
ー色んなところに顔出して、自分の思っていることを話すと賛同してくれた人が、自分がやってる企画にも来てくれる体感があるんですね。
もう、口癖が『なんかしたい』『面白いことない?』『なにやりたいの?』みたいなことばっか言ってるので。だからなんか思いついたら、連絡が来るっていうことはたくさんあります。今年も、宮城大学の1年生の子だったり、東北大学の2年生の子だったり…何人か他の大学で何かしたい人が自分を見つけて連絡をくれる。
実は、昨日は気仙沼の熱い高校生に会ったんですよ。彼も自分のことを見つけてフォローしてくれて、会いに来てくれました。そんな感じでずっと話しかけやすい存在ではありたいなと。自分がいなくてもいい形の究極体が本で、図書館とか。自分が図書館だって思うんですよね。
気仙沼の高校生と。高校からロールモデルになる近い世代に会えるなんて素敵な世界です
たとえば本を読んでいて、色んな人に本を勧めるとか、ひらかれた人間になるのって、ちょっと難しい。本読んでるからとかじゃなくて。オープンな状態でいることって日本人の特性上難しいと思うんですよね。
ー確かに。でもその点、佐々木さんは良いバランスだなと思います。オープンだけど、全部見せている訳じゃない。その人に見せる自分がいるってことは、すごい、いい。しかも、それをあんまり感じさせないフラットさが相談しやすさを生んでるのかもしれませんね。
うん。その人に合った形でっていうのは意識していますね。
ー熱意がある人から、ちょっと引いた視点の人までいろんな人の立場になれそうだし。その中間層にいるとすごいやりやすそうだなって。
いや、本当に、そうですね。中心になりたい訳じゃないんですけど、中心の近くにいるというか。
ーでもそういう立ち位置って意図せず目立ってしまいますよね。
それが割と嫌なんですよね。
ーこれは勝手な妄想なんですが、佐々木さんにも関わってもらって来年一緒に本を使ってイベント出来たらいいなと思ってます。本を読む人口が少なすぎて。学生はやっぱり、あんまり本を読まない。社会人になった私たちからは『本を読もう』という促ししかできないのかな、と。
いいですね、本のイベント!本を読む人の話で言うと、そもそも本を若い世代が読まないっていう認識が僕は間違っていると思っています。ある論文に、若者が本を読んでる時間を世代別に挙げると、2010年くらいまでは若者の方が多いという風に書いてありました。本を読まないって言ってた40,50代の人たちが学生時代に読んでいた時間より、(現在の)学生の時間の方が長いっていうデータがあって。今はスマホが普及しちゃったので、(結果が)変わってると思うんですけど。若いうちに本を読む行動を実はとってて、二極化してるから見えないのかもしれないですね。
ーそれはあるかも。本を驚くほど読んでいる人もいる中で、全く読まない人もいたり…。
自分は一番本が普遍的なものだと思うので。でも、映画を見る人もいるし、映画をめっちゃ好きな子と話は合うけど、だから映画が面白くて、とだから本を読むのが面白いんじゃんってズレ方をするんですよ。そうなってくると多分、話が中心になると思うんですよね。これから。僕はそんな気がします。
語り手:佐々木 湧雅
尚絅大学4年生(休学中)
きっかけのきっかけになる超活動家 / 限界大学生
佐々木湧雅
尚絅学院大学 人文社会学類4年 富谷市 22歳
「誰かのきっかけのきっかけになる」を掲げて活動している。大学内でのたき火や「話」を売り買いする学生BAR『話場(はなしば)』、自転車を漕いでイルミネーションを光らせる"Rights, Lights, by Ride2023 ~乗る自由と灯す権利~" など多くのイベントを開催。長期インターン、学生団体、NPO等含め8団体に所属し、富谷をはじめとする宮城県内においてまちづくり、場作り、コミュニティ作りに尽力している。
編集後記
以前U-25インタビューの企画でお話ししていただいた五十嵐さんからいただいたご縁で紹介していただいたのが佐々木さんとお会いするきっかけに。
お会いする以前から8BOOKsのinstagramストーリーにいいねをくれていたのでその存在は知っていて、とてもパワフルな大学生なのかなと思っていました。
実際にお会いしてみて、とてもパワフルな印象なのは変わらなかったのですがそれだけではなくて人の痛みを知っている人かもしれないと感じるようになりました。
こんなにいろんな活動をしているとどこかで息切れしたり、雑になったりしそうなものですが佐々木さんはメッセージでのやり取りもとても丁寧で
私の想像を遥かに凌駕した『超活動家』でした。本当に感服するばかりです。
「なんかおもしろいことしたい」と思う学生はなかなか周りに相談できずそのほとんどが思うだけで終わってしまうこともあります。そんな時に佐々木さんのような存在がまさに「きっかけのきっかけ」を結び、宮城で仙台で学ぶ学生にとっての良いロールモデルを作っていくのではないかと思います。
きっといろんなイベントに参加する時、そこには彼がこれからもいることでしょう。楽しみです。
記事を書いた人
山田
デザイン企画
1996年生まれ。宮城県石巻出身、仙台在住。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)空間演出デザイン学科卒。8BOOKsではデザインに関わる仕事を担っている。遠出が極端に苦手だが、散歩は好きで、引っ越しの回数は人より多い。
好きな作家
三浦綾子
高瀬準子
町田康
モーパッサン